AI(人口知能)で採用選考から、地方の大学の生き残り策を考える

AI(人口知能)で採用選考をという新聞記事を見かけました。

個人的には人事採用のプロなんていないし(結局は好き嫌いなので)、人間をよく見て

いる犬猫の方が見立てが良いと思っています。

コンピューターの学習能力が更に高まれば、領収書をスキャナで読み取り、早く、正確

に仕訳を切ることは可能になるため、(大人の事情がない会社の)経理社会保険

手続などのような定型業務はAIで代替えが可能ですし、その方が間違いも少なく良い

と思います。

しかし、効率化にはなれど、人事採用というデリケートなものは、AIだけでは

いささか難しいのではないかと思われます(これは不動産仲介なども同じ)。

ところで、地方の大学は苦戦していますが、偏差値が高い大学が有利になるであろう

AIで選考となると尚更です。

通信教育がそうですが、大学教育というのはパッケージ化がある程度は可能なもの

です。

ということは、既に都心回帰が見られるように、あとは立地やブランドなどが差別化の

カギとなります。

そうなると、大まかな勝負は既に決まっていることになります。

地方創生という名目で、地方の大学に補助金を出しても、それは延命策に過ぎません。

地方の大学は、「そこにしかない」「そこでしかできない」特徴を出すことが特に必要

になります。

そのためには、知恵を出し、汗をかく必要があります。

 

 ※余談ですが、「早くやれ」と部下を怒鳴り、具体策も無く「金曜日は定時で帰ろう」

とただ言っているだけの上司も、これからは厳しいと思います。

教育の問題は「教える側」にあるのではないか?

大学教育の「無償化」に私が反対する理由 大前研一が説く「義務教育の目的」

読んで、大前氏の仰るとおりだと思いました。

僭越ながら付け加えさせていただくと、既得権益の塊のような今の教育制度

(更に国公立なら公務員制度も)の状況で、「教える側」をどう変えてゆくのか?

奨学金制度はおかしいといった声を聞けども、「学費が高過ぎる」といった声は

あまり聞かないのはなぜか?

実は、教育の問題は「教える側」にあるのではないか?

コンビニのコピー機の前で、大学の2018年問題について思う

わが家は、某大学の近所にあります。

そのため、定期試験が始まると、コンビニのコピー機はどこも大変混雑して、

ミスコピーの用紙が散乱していたものです。

しかし、この10年ほどは、そんな光景を見た記憶がありません。

スマホタブレットが普及したことはもちろんですが、「学生数が減っている」

というのが大きな理由かと思います。

私は団塊ジュニア世代のため、同級生が多い学生時代を過ごしています。

そのため、どこに行っても学生がいたものです。

浪人も普通のことでした。

しかし、今では、学生がまばらな、寒々しいキャンパスを見かけることは、

珍しくなくなっています。

2018年問題を目前に控えてはいるものの、奨学金の拡充や学費の後払い制度の

検討などといった「延命措置」で、ハードランディングは避けられるでしょう。

しかし、「あの大学はダメ、勧めていない」といった、進路指導の先生たちの

厳しい意見を聞いていると、既に「選別」は始まっていると感じています。

「地方大向け奨学金、入学前に貸与可能に 」ついて思うこと

「地方大向け奨学金、入学前に貸与可能に 」なるそうですが、地方と首都圏を分ける

のはおかしいと思われます。

大学での主役は、行政ではなく学生です。

借り過ぎないようにさせることは大切ですが…

奨学金を借り過ぎないようさせようとする高校の先生が多くいらっしゃいます。

しかし、「生徒にとっていくら必要なのか」という視点が欠けていることがほとんど

です。

無利息の1種に拘られる高校の先生がいらっしゃいますが(ネガティブな報道から

その気持ちが分からなくはないですが)、学費や生活費が足りず、アルバイトばかりで

学業が疎かになるようでは本末転倒です。

頻繫に変わる学部や学科名を見て思うこと

学部や学科名を頻繫に変えたり改組する大学があります。

中身は変わっているはずですが、実はそれほど変わっていない。

「大人の事情」があるのでしょうが、それなら「教養学部」にしてはどうだろうか?

横断的な勉強ができて進路が柔軟になるし、そもそも「学部で専門教育」なんて

無理な話なのだ。

就活生は一時的な記憶喪失になっている

 

履歴書やエントリーシートは、いきなり書けないものです。

学生生活をしている以上、何もしてこなかった就活生はいません。

就活生は一時的に記憶喪失になっているだけです。

自分では「こんなこと」と思っていても、まずはどんどん書き出してみよう。

採用担当者は、「こんなこと」に興味をもったりするものなのです。