高校の先生と話していると、母子父子寡婦福祉資金といった制度の話題
になることがあります。
給付型と勘違いされていることもありますが、貸与型であり、利用の条件
も厳しく複雑です。
私が高校生の頃は、私立高校は裕福な子弟が入学する、という風潮がありました。
公立の高校生だった私は、私立高校生は「何となく違うな」と思ったものです。
ところで、最近は、私立高校を訪問することが増えています。
訪問していると、高校であれ、生徒であれ、保護者であれ、私立=裕福という等式は、
段々と当てはまらないようになってきていると感じます。
ちらほらではありますが、私立高校でも「影」が見えるようになってきています。
学費の相談では、機微の情報に及ぶことが多々あります。
そのため、高校の先生も、保護者に言い辛い、聞き辛いことがあります。
例えば、「入学費は用意できているか」といったことがあります。
不躾という気持ちが先生にはあるし、保護者も正直に言わないことがあります。
しかし、特別推薦などは入学を辞退すると、高校や後輩に多大な迷惑を掛けることに
なります。
奨学金の講師は、制度の説明だけでなく、「先生が言いにくいこと」を保護者に言う
ため、聞くためにも訪問をしていると言えるのかもしれません。
実は、私自身「あんなこと言ってよかったのかな、聞いてよかったのかな」と、
毎回毎回思っているのです。
世間一般の大学教員へのイメージは、「世間から隔離されたところで、何をしているの
かよく分らない人」というものだと思います。
発表は、誰も読まない紀要か学会で、評価も曖昧で「好き嫌い」の要素が強い(ここは
会社でも同じですが)。
しかし、今は、インターネットで世界中に研究発表ができる時代です。
実利が乏しい分野でも、やり方次第では注目を浴びて、研究資金の獲得につなげる
ことは可能でしょう。
趣味のような研究をしている教員を抱えている余裕は、今の大学にはありません。
大学の教員も商人になることが求められてきていると思います。
研究だけではなく、営業熱心、教育にも熱意をもつ、しかし職が無い
若手の先生が、夜間の大学で教える。
大学と地域の企業などは協力し合う。
学生は、働きながら、やる気のある先生のもとで勉強ができる。
こんな大学があったらな、と思う。
活気のある地域になるだろうな、と思う。